青ヶ島還住太鼓

還住太鼓が奏でる、海を渡る波のリズム。 太鼓の響きにのせて「青ヶ島」を伝えていきたい。

東京の島が持つ魅力を様々な視点からご紹介する「東京宝島」プロジェクト。今回は、絶海の孤島とも呼ばれる伊豆大島最南端の有人島、青ヶ島が舞台です。島に伝わる伝統太鼓を介して、島から島へと広がり、海を越えてつながった文化と人の縁について、青ヶ島還住太鼓代表の荒井智史さんからお話をうかがいました。

2024-aogashima1_1.jpg

太鼓を通じた対話から、
今ここにしかないリズムが生まれる。

―青ヶ島の還住太鼓(かんじゅたいこ)とは、どのような郷土芸能なのでしょうか?

ルーツは、隣の八丈島に伝わる「八丈太鼓」です。1785(天明5)年の大規模な噴火により青ヶ島の島民全員が八丈島に避難しました。その後50年を経て島民全員が島に戻った「還住(かんじゅう)」のときに、島踊り、島唄とともに持ち帰った郷土芸能が、現在の還住太鼓になりました。
還住太鼓は、一つの太鼓を同時に二人の奏者が会話するように叩くスタイルが特徴的です。一人が「下打ち」という決まったリズムを叩き、もう一人が完全に即興で「上打ち」を演奏していきます。
音楽のリズムや響きには、奏でられている地域の風土が反映されていると思います。下打ちはすごく単純なリズムですが、その響きの中には、たしかに還住太鼓「らしさ」のようなものがある。そのリズムが何を表すのかはいろんな捉え方ができると思いますが、自分なりの解釈としては、「海を渡るリズム」だと思っています。

2024-aogashima1_2.jpg

―「海を渡る」とは、島の人々が青ヶ島に戻れたときのことでしょうか?

八丈島と青ヶ島の間は、荒波が押し寄せる厳しい海。それを渡って島に戻ってきた、還住の歴史を象徴するような力強さがあると思うんです。でも、それはただ力任せに叩くのでは無く、押したら必ず引くような、波に乗るリズムだと感じます。
力強く押すときもあれば、生きていくために引くところは引く。時代の大きな波を乗り越えて生きるためのリズムが、還住太鼓の根っこになっている気がしています。

―島の大きな歴史から生まれたリズムなのだとすると、とても納得がいきます。そこに、即興という要素が加わるのも大きな特徴の一つですね。

フリージャズやインプロビゼーション(improvisation:楽譜に沿うのではなく、その場のひらめきで自由に演奏する方法)とは違いますが、毎回叩くごとに違う音楽が生まれ、二つとして同じ音楽がないのが面白いところです。
僕はこの即興を重視していて、子どもに教えるときも、決して譜面を書いたりリズムで教えたりしません。まずは相手の音を聴き、感じて、自分の音を重ねて響き合うところから生まれるものが、「表現」になっていくからです。
でも、同じ太鼓でもこれが神楽(かぐら)だとまったく違います。神様に奉納するものなのでリズムが決まっていて、基本的には間違えてはいけません。でも、僕らの太鼓は、純粋に音楽を楽しむためのもの。みんなが集まって、時間を決めず、打ち手を変えながらただただ叩いて楽しむ。人が集まるとき、その輪の中心にある、そういう存在ですね。

コロナ禍の三年間で失われた感覚を
完全に取り戻した20周年イベント。

―島で人が集まるとき、自然とそこにあるのが還住太鼓なんですね。

太鼓と同様に島のコミュニティにとって大事なものの一つに、島踊りがあります。島では、行事の最後は必ず島踊りで締めくくるんです。仲たがいしていても、踊る時は一緒に踊る。小さな島の中だから、協力して生きていかないといけないんだということを、理屈じゃなく感じ合える瞬間です。でも、それが突然無くなってしまったのが、このコロナ禍でした。
長い間、「集まろうよ」「不安だからまだやめよう」と探り合う状況が続き、僕の20年間の活動の中でも、ここまで意見が割れたのは初めての経験でした。踊りたいのに踊れない、大切な物を大切にできない、そんな本当に難しい時期を過ごしました。
ようやく、平成15年に発足した「青ヶ島郷土芸能保存会」が20周年を迎える昨年に入ってから、「20周年をみんなで祝うぞ」という気持ちで一致団結することができました。そこから少しずつコロナ前の感覚を取り戻していき、12月に行われた20周年記念式典で、やっと完全に感覚を取り戻したと感じることができたんです。

-20周年イベントのメインプログラムでは、韓国の「農楽(プンムル)」伝承アーティストを呼ばれたんですよね。農楽とはどのようなものなのでしょうか?

2024-aogashima1_3.jpg

豊作や平和を祈願し演奏される農楽は、朝鮮半島に古くから伝わる音楽と踊りの民族芸能です。伝統打楽器を軽快に鳴らしながら、ダイナミックに跳びはねて練り歩く姿が印象的な農楽は、ユネスコ無形文化遺産にも登録されています。
10年ほど前、島外のライブでご一緒したのが、農楽の伝承者のイム・スンファンさんでした。若い頃から韓国の伝統音楽が好きだったのですが、演奏のつくられ方や盛り上がり方が、僕の小さい時に青ヶ島で行われていた宴会や、島踊りの雰囲気に近いと感じたので、ご一緒させていただくようになりました。

―彼らと一緒に行った、青ヶ島小中学校での国際交流イベントはいかがでしたか?

2024-aogashima1_4.jpg

せっかく表現者を招いているので、僕としては「英語で話して終わり」というものではなく、一緒に時間を共にして何かをつくり上げる体験を通して、知らない人とコミュニケーションを取ってほしいという想いがありました。
だから、しっかりとした学習プログラムというよりは、とにかく異文化を体験することに重点を置きました。何かを学ぶのと同じように、「なにがなんだかわからないまま飲み込まれる」ということも大事だと思っているんです。それが授業の狙いでしたから、先生方は何が行われるのか、とても不安だったと思います(笑)。
決して学校教育を批判するわけではありませんが、学校という空間だと、一時間の授業ごとに目標があり、その時間の中で理解して成果を得ることが求められることが多いですよね。だから、うまくいく、いかないも明確に分かれてしまう。
島の学校だと全校生徒が8人しかいないから、先生と子供がほぼ一対一だし、お互いに逃げ場がないんです。だからこそ、全然知らない人が来て、巻き込まれて、よく分からないんだけどめちゃくちゃ楽しい、みたいな経験は貴重だと思います。

―異文化との交流という点では、昨年は沖縄県の南大東島に郷土文化の研修にも行かれましたよね。

2024-aogashima1_5.jpg

南大東島は、もともと八丈島の島民たちが開拓した歴史的背景があります。伊豆諸島南部の太鼓芸能もそのときにこの地に伝わり、今も「南大東太鼓」として親しまれています。八丈太鼓と南大東太鼓は、下打ちのリズムは基本的には同じはずなのですが、現地の方と叩いてみると、全然フィーリングが違う。でも、それが面白かった。南大東島に伝わった後に、その土地の中で育ってきた音楽になっているんだなと感じることができました。これは現地に行かないと分からなかったことです。
韓国の場合は、楽器から何から違うのにどこか同じ部分がある、波長が合うという感じ。一方で南大東太鼓は、ルーツが同じで叩き方も同じはずなのに、どこかフィーリングが異なる。この二つの経験で、異なる「違い」を肌で感じられたのは貴重な経験でした。

2024-aogashima1_6.jpg

ただ知ってもらうことがゴールじゃない。
お互いに興味を持ち合える関係が理想。

2024-aogashima1_7.jpg

―今後、還住太鼓を通じて青ヶ島のどんなところを伝えていきたいと思っていらっしゃいますか。荒井さんの目標などを聞かせてください。

郷土文化、郷土芸能にはゴールがないと思っていて、まずはやり続けることが大切だと感じています。人が生きている限り、そして青ヶ島という地域がある限り、ずっとあり続けるもの。郷土文化とは、今の暮らしを支える糧であり、気持ちのよりどころにもなるもの。その一つが還住太鼓だと思っています。当たり前に大切にすべきものを大切にしていくことが、ちゃんと未来につながるんだよってことを、太鼓の表現を通じて伝えていきたいですね。
そのためには、島の魅力を発信することよりも、まず島の文化を大事にして、それを未来につないでいくことが重要です。それは一見、派手さもないし、地味な感じに見えると思うんですが、それが青ヶ島のコミュニティらしい部分じゃないかなと思っています。


―島内外の人たちに、青ヶ島の本来の姿を知ってもらうきっかけが還住太鼓だということですね。

はい。でも、ただ知ってもらえればいいという話でもないと考えています。僕自身としては、とにかく大勢に知ってほしいというよりは、緩やかに青ヶ島と関係する人たちを増やしたいし、良い関係を築ける人が増えてほしいと願っています。
関係人口として関わっている人たちとどんなコミュニケーションが取れるのかが重要です。たとえば、島の天気が台風の時に、別の場所に住んでいても天気予報を見て「青ヶ島は大丈夫かな」と気に留めてくださるような関係性が大事だと思っています。
「面白い場所」として消費されるだけじゃなくて、島でこういう暮らしをしている、こういうふうに生きている人がいるんだ、ということまで理解してもらいたい。そういうところまでお互いに興味をもって、ちゃんとコミュニケーションが取れるような人を、一人でも増やしていければ嬉しいですね。

―演奏を聴くことで、太鼓のリズムを通じて「青ヶ島」そのものが、感覚的に深く伝わってくる気がしました。興味深いお話、ありがとうございました。

絶海の孤島とも呼ばれ、日本で一番人口が少ない村でもある青ヶ島。本州との行き来も簡単ではない島ですが、そこには確かに、太鼓を中心に人と人とがゆるやかに繋がる文化がありました。長い歴史の中で育まれてきた還住太鼓の響きに耳を傾け、島に生きる人たちの息づかいを感じてみてはいかがでしょうか。