あおちゅうツーリズム開催レポート(前編)

2019年12月初旬、青ヶ島の焼酎「あおちゅう」の魅力を体感する「あおちゅうツーリズム」が開催されました。「あおちゅうツーリズム」は、「あおちゅう」への理解を深め、応援してくれる仲間を増やすことを目的として企画され、2019年度は酒類や食の専門家とメディアを招いたモニターツアーとして実施されました。
八丈島と青ヶ島を巡りながら島と焼酎との関わりや歴史を学び、青ヶ島酒造の工場で焼酎の醸造過程を見学、青ヶ島限定の焼酎「初垂れ(はなたれ)」を味わった「あおちゅうツーリズム」の様子をレポートします。

「あおちゅうツーリズム」には本格焼酎の専門家・鮫島吉廣氏、発酵料理研究家・いこまゆきこ氏、雑誌「島へ。」編集デスク・熊本鷹一氏が参加。初日は、羽田空港から飛行機に乗り、約55分で八丈島空港へ到着。八丈島で青ヶ島との関わりや、焼酎が八丈島に伝来した歴史を学びます。

伊豆諸島の島酒のルーツに触れる

初めに訪れた「島酒の碑」は、江戸時代に伊豆諸島へ焼酎を伝えた流人・丹宗庄右衛門(たんそうしょうえもん)を顕彰するもの。嘉永6(1853)年に薩摩藩の密貿易の罪で八丈島へ流され、島でさつま芋が栽培されているのを見た庄右衛門は、故郷より蒸留器を取り寄せ、島民に芋焼酎の造り方を教えたと伝わっています。

庄右衛門の伝えた焼酎造りの技術はやがて伊豆諸島全体に広がり、青ヶ島の焼酎造りも八丈島から伝わりました。現在では大島・新島・神津島・三宅島・八丈島・青ヶ島で、合計9の焼酎工場が稼働しています。

参加者からは「薩摩からの流人に、わざわざ蒸留器を取り寄せるほどの財力があったことに驚いた」との感想が聞かれました。

「島酒の碑」を見学する参加者。大きな酒甕の下に玉石が並ぶ

青ヶ島と八丈島を結ぶ歴史に触れる

続いて、一行は大里集落へ。青ヶ島で天明5年(1785年)に起きた大規模な噴火から八丈島に避難し、50年間に及んだ避難生活の中で故郷の地を踏むことなく亡くなった島民たちの墓を訪ね、線香とお酒をお供えしました。

小さな墓が寄り添うように集められた青ヶ島墓地

墓地近くの集落に整然と並ぶ玉石垣は、かつて流人たちが積み上げたもの。避難先の八丈島で使役人として働いていた青ヶ島の人々も、こうした玉石を積む作業に加わっていたといいます。

一つ運ぶとおにぎり一個と交換されたと伝わる玉石の石垣

ヘリコプターで青ヶ島へ

翌日は、青ヶ島へ。青ヶ島へのアクセスは、週4〜5便の定期船もしくはヘリコプターの定期便を利用します。今回はヘリコプターを利用し、約20分のフライトで青ヶ島に到着。

1日1便のヘリコプター定期路線を利用し、青ヶ島へ

青ヶ島のヘリポートは島でも珍しい平地にあり、昔から祭事などが行われ人の集まる場所だったといいます。ここでガイドの荒井智史さんと合流。青ヶ島の最高地点である「大凸部(おおとんぶ)」へ向かいます。道中、かつて焼酎の自然麹造りに使われた「ガクアジサイ」や通年で食材として重宝される「アシタバ」など、島で自生する植物の説明を受けながら山頂を目指しました。

青ヶ島特有の植生について説明するガイドの荒井さん

絶海に浮かぶ二重式火山の島・青ヶ島を感じる

大凸部からは世界でも類を見ない「二重式火山」の地形を一望できます。その日、島には強い風が吹き付けていました。荒井さんは「この風に揺れる植物の音が、冬の青ヶ島の音なんですよ」と説明。

大きな火山のカルデラの内側に小火山を望む大凸部からの景観

大凸部を下山後、船の舳先のような地形の平地「ジョウマン」や、断崖絶壁の上に位置する「神子の浦展望公園」を巡り、広々とした海の中に佇む青ヶ島を五感で体験しました。荒井さんによると、冬場は島の周囲を回遊するクジラの姿を目にすることも多いといいます。

牛が放牧されているジョウマンの平地

カルデラの内側、オオタニワタリの潜む森へ

「大凸部」から見た外側のカルデラ・外輪山の内側の地域は池の沢と呼ばれ、火山性植物の森が広がります。焼酎の自然麹造りに使われるシダ植物「オオタニワタリ」も、池の沢に群生しています。

岩石や木の股などに根を下ろすオオタニワタリ

池の沢の森を抜け、島唯一の港「青ヶ島港(三宝港)」では水平線に沈む夕日を眺めました。波が荒く港に漁船を係留しておけないため、クレーンで釣り上げる姿は、青ヶ島ならではの風景です。

港には漁船を釣り上げるクレーンが設置されている

レポート後編へ続く