「第5回島会議」三宅島で開催!

2月13日、三宅島の阿古港船客待合所「ココポート」2階会議室で「第5回島会議」が開催されました。その模様をレポートします。

島のブランドコンセプトと具体的アクションを磨く回

「島会議」は、島を支える事業・産業に関わる人たちや、日頃から島の活性化に取り組む方々が集まり、領域の垣根を超えて、島のブランド化について話し合う場。2月13日、三宅島の阿古港船客待合所「ココポート」2階会議室で、第5回島会議が開催。第1回から参加している、様々な業種のメンバー9名が集まりました。

初めに、事務局より島会議のステップについて説明がありました。これまでに三宅島のブランドコンセプトとアクションアイデアを検討し、1月29日に開催された第2回東京宝島会議で発表と磨き上げの議論を行ないました。今回の第5回は、より具体的にブランドコンセプトとアクションアイデアの検討を進める回となります。

十人十色の「火山とワタシ」

これまでの島会議での議論から、三宅島では「火山島の環境」「地球の一員としての目覚め」がコンセプトの軸として決まりました。その価値を感じてファンになってもらうには、顧客にどんな体験を提供すればいいのか。火山島としての三宅島が秘める魅力を探るべく、ファシリテーターの主導で参加者一人ひとりの火山体験や火山への思いを共有しました。

様々な場所で暮らした後三宅島に移住し、宿やガイド業を営む参加者は「島の祭に触れ、素朴だけど力強い三宅島の一員になりたいと思った。祭りや農法、冬の西風を使った漬物作りなど、島の自然の中で生き抜くための知恵や経験が詰まった生活文化に触れることで、本物の『生きる力』を感じられる」と語りました。

新島出身、職場の転勤により三宅島で暮らすことになったという参加者は、三宅島の風景やガスの噴出する火山に驚いたといいます。そして、鹿児島の桜島など、噴煙や火山を観光PRに活用する地域の事例も挙げ、「活火山は三宅島の強烈な個性でありブランドになる。『都内からアクセスのいい火山の島』というのは推せるポイントではないか」と参加者らへ呼びかけました。

昭和58年に噴火を経験し、自宅や学校が火山灰に埋まったのを目の当たりにしたという参加者からは、「私にとって火山は当たり前の景色で、島の魅力と火山というのが内心どうしても結びつかない」という意見も出されました。噴火で家を失い、着替えもなく、翌日に八丈島から東京へ向かう飛行機で、上空から水蒸気を上げる島の景色を見たといいます。東京での避難生活や帰島後の復興も経験しましたが、それほど苦労とは感じなかったと経験談を語りました。

勤めていたダイビングショップの転勤で来島し、海山のガイド業を営む参加者は、「初め火山のことには関心のないまま生活していたが、平成12年の噴火で見慣れた風景が灰に埋まり、大変さと共に非日常を感じた。島外に避難した際に全国の火山地方の方とも知り合い、火山に興味が湧いた」と振り返ります。地元のお年寄りに昭和37年の噴火体験なども聞き、「実体験に基づく話には迫力があった。噴火体験を思い出させることは酷かもしれないが、話したい人もいっぱいいると思う」と語りました。また、海中も火山島ならではの景観になっており、三宅島ならではのダイビングが楽しめるとのことでした。

島暮らし体験生として初来島し、その後三宅島に移住した参加者は、初めは、火山や噴火は怖いものと捉えていたそうです。しかし、三宅島に暮らし、噴火も地球の活動の一部だと感じるようになったといいます。「人間本来の暮らしを知り、生きている喜びを実感できている。」と心境の変化を語り、火山について「自然と共に生きることの本質を伝えたい」と結びました。

「仕事の関係でたまたま来島し、阿古の溶岩が流れた集落跡を見て驚いた」と振り返る参加者は、三宅島に移住して20年。暮らし始めて1年半後に平成12年の噴火があり戸惑ったものの、避難解除された時になぜか三宅島に帰って来てしまったといいます。
「繰り返される噴火によってできた、海までなだらかに続く地形が三宅島の特長。気軽に海に降り、波の音を聞きながら散歩をしたり、ビールを飲んだりと、海辺を楽しめる」と語りました。

漁師体験で三宅島に初来島し、移住して漁業を営む参加者は、三宅島を選んだ理由を「大昔の噴火の影響で、三宅島の周囲にいい漁場が形成されている」と語ります。
海底にできた隆起に海流がぶつかり、巻き上がるプランクトンを狙って小さい魚が集まり、それを狙ってキンメダイなどが集まることや、漁場が陸から近いこと、獲った魚をその日のうちに出荷できることなど、漁業の視点から語られる三宅島の強みは、参加者にも新鮮に映ったようでした。

三宅島に移住し農業に携わる参加者は、三宅島を「農業をするのに、これほど条件の良くないところはない」と評す一方、「だからこそ伸び代があり、あるものを自分でどう活かすか考えるのが面白い」と語ります。また、噴火を何度も経験した高齢の農家に話を聞くと、火山灰には数百年から数千年後に土地を豊かにする効能があることが分かったといい、自然に抗わず、あるがままを受け入れる農家の人々の姿勢に学ぶものが多いと感じているそうです。

移住者の両親の元、島で生まれ育った参加者は、中学生の時に平成12年の噴火を体験。人間だけではどうにもできない状況の中、どう前向きに生きるかを周囲の大人たちから学んだといいます。三宅島では「繰り返し噴火を経験する中で、災害の際に死者を出さない心構えや地域の絆が育まれている。大人たちが普段の会話から、ご近所のお年寄りの様子を把握していたことが非常時に役立った」と振り返りました。また、Uターンした三宅島で復興を頑張る人たちを見て火山島だからこその魅力をガイドとして案内するようになった経緯を話し、「火山と共にある暮らしは、直接地元の方から聞くのが最も説得力がある。噴火のことを語って後世に残してくれる語り部を発掘できたら」と語りました。

各自の発表を受けた意見交換では、「噴火の体験談を聞いて残すのは島のコミュニティのためにも大事な作業になる」「島を巡ると、火山灰からの植物の遷移がよく分かる。10年20年と経て適応する自然の再生力に気づく」「火山を軸に島を語る中で、様々な業種に結びつけることができる」などの意見が交わされました。

島の魅力を伝えるアクションプラン

続いて、ファシリテーターより「現地に行ってこそ意味のあるスポット、見るものや体感するもの、人から話を聞くなどをうまく点をつなぐ観光が見えて来ている。別なアイデアがあるか」と参加者に質問を投げかけ、フリートークで話し合いながら、アイデアを付箋に書き出し、壁に貼り出した模造紙の上にまとめていきました。

「火山の語り部を育成し、島内で楽しめる体験の一つに入れ込んではどうか」「新しいターゲットを探すより、今来てくれている人にもっと楽しんでもらうほうが、閑散期の来島やリピーターを増やすことにつながるのでは」など、活発に意見が交わされました。

話し合いを進める中で、「火山の語り部」「宝探し」などを含む「着地型体験(※)」、「火山のイメージへの問題提起」「観光情報の提供の仕方」などにテーマが集約され、模造紙上で可視化されました。

※着地型体験......旅行者を受け入れる地域で作られる旅行商品

最後に、3月下旬に東京ミッドタウンで開催されるイベントに向けた準備などのスケジュールを確認。参加者から「プレゼンは、ただの報告で終わりたくない。面白そうだと思ってもらえるような格好良さが大事」などの意見が出され、事務局からも引き続き話し合いを共有しサポートすることが伝えられました。

参加者の声

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